数奇な運命をたどったオペラ「ポリウト」♪

 
←「ポリウト」パオリーナ役のカラス
 
ドニゼッティのオペラ「ポリウト」は、僕の大好きなオペラの一つです。1960年12月7日、ミラノ・スカラ座のシーズン・オープニングで、マリア・カラスが、それまでほとんど忘れ去られていたこのオペラを蘇演させて、再びスタンダード・オペラとして注目されるようになりました。しかし当時すでにカラスの声は下降線上にありました。僕のイタリア人の知人で、このスカラ座での「ポリウト」を実際に生で聴いた人の話を聞きましたが、カラスの声はひどく揺れてコントロールするのが難しく、高音ではかなり苦しんでいたと、言っていました。もちろん僕は、CDでしか聴いたことはありませんが、不調とはいえカラスのドラマティックな歌唱に感動してしまいます。また、彼女とこのオペラで共演している、コレッリとバスティアニーニがとても素晴らしく、聴衆が湧いていて、オペラハウスの熱気がすごく伝わってくるのです(僕の大好きなCDです)。
←カラス、コレッリ、バスティアニーニらによる「ポリウト」CD
オペラ「ポリウト」はローマ帝国支配下のアルメニア・メリテーネを舞台にした悲劇ですが、このオペラの作曲の経緯もまた悲劇的なのです。
1838年、パリ・オペラ座のスター・テノール、アドルフ・ヌーリは、当時、胸声のドの音do di petto をだすことに成功して聴衆を熱狂させていた新進テノール、ジルベール・デュプレにスターの座を奪われていました(彼が登場するまではファルセットだった)。ヴェネツィアでドニゼッティと出合ったヌーリは、高音のドを出せるようにドニゼッティにトレーニングを頼んで、また、ヌーリを主役としたオペラの作曲も約束してもらうことが出来ました(後のオペラ「ポリウト」)。台本はナポリのサン・カルロ劇場の台本作家カンマラーノに依頼。その年の7月にはオペラ「ポリウト」の作曲がほぼ完成し、上演のめども立ったころ、突然フェルディナンド2世が上演禁止の命令を出したのです。理由はこのオペラのストーリーに殉教者が描かれていて、これはキリスト教を冒涜することだということらしいのです。このオペラでスターに帰り咲くことを夢見ていたヌーリは1839年3月、絶望のあまりナポリのホテルから投身自殺を図りました。その後、このオペラは1840年4月、パリ・オペラ座で「殉教者 LES MARTYRS」というタイトルで初演。皮肉な事に、このときテノールを歌たのはヌーリのライバル、デュプレでした。さらにイタリア語版としては、今、僕達が馴染んでいる「ポリウト POLIUTO」のタイトルで、ドニゼッティの死から約6ヶ月後の1848年11月30日、ナポリのサン・カルロ劇場で初演されました。その後はマリア・カラスの登場まで約100年の間、忘れ去られてしまったという、数奇な運命を持つオペラです。
 
by 管野滋樹
  Shigeki Kanno/Opera Singer
 
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が、始まりました。僕の開講している、オペラ・レッスンのお話です。 
 
 
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